トップ > 年間エンターテインメント総括

選評  出版関係物故者  放送関係物故者

対象作品は発表された年ではなく、サイト主宰者が実際に目にした年のものとしています。



部門ノミネート作品ベスト作品
図書部門 小説の部 「国盗り物語」 該当作なし
漫画の部   該当作なし
映像部門 映画の部 「スター・ウォーズ/スカイウォーカーの夜明け」「ランボー ラスト・ブラッド」 該当作なし
テレビドラマの部 「24 JAPAN」 該当作なし
アニメーションの部 「ちびまる子ちゃん」「クレヨンしんちゃん」 該当作なし

2020年選評

与志田選2020年総括。コロナの影響で電車に乗ることがぱたりとなくなってしまい、本を読む時間も極端に減った一年。ノミネートに入れていない作品から一言。『麒麟がくる』−めちゃくちゃ面白いというほどでもなく、かといってつまらなくもなく、なんだか中途半端な印象。やはり過去に例のない放送休止が響いたか。( 21/09/04 )

<図書部門>
『国盗り物語』(司馬遼太郎・新潮社刊)
司馬作品の中ではかなり以前から読もうと思っていながら読むタイミングを逸していた作品。『麒麟がくる』の放送につられてようやく今になって読み始めました。とにかく面白い。長編の醍醐味です。ぐいぐい読ませます。

<映像部門>
『スター・ウォーズ/スカイウォーカーの夜明け』(19/12/20公開)
―2019年アメリカ デイジー・リドリー J・J・エイブラムス監督
新3部作になってからは劇場で観ることもなくなっていましたが、これで最後、40年を経たラストイベントといった意味から映画館へ行きました。しかも上映期間もいよいよ終わり近くに。予定調和的な結末にある意味安堵しますが、正直なところ後々まで印象に残るような内容ではありませんでした。
『ランボー ラスト・ブラッド』( 6/26公開)
―2019年アメリカ シルベスター・スタローン エイドリアン・グランバーグ監督
舞台が戦地でないところが物足りないと思い返せば第1作がそもそも戦地でなかったなと。そういう意味では原点回帰を意識したのか。でも一作目ほどの派手さもないんですよね。なんだか地味な戦いで、スカッとする感じがあまりなかったのは残念です。やはりランボーにはたった一人でヘリや戦車と戦ってもらいたいです。
『24 JAPAN』(10/ 9〜21/ 3/26・テレビ朝日系)
「事件はリアルタイムで進行中である」といって、たった1日の間にあれだけのことが起こるのはいくらなんでも不自然じゃないのという突っ込みを寄せ付けず、24回も引っ張り続ける構成は強引ながらもなかなか見事なものです。


2020年出版関係物故者

漫画家の祐天寺三郎(ゆうてんじ・さぶろう)氏が 4月22日、老衰のため死去。91歳。( 4/28 読売新聞朝刊より)
東京都出身。旧早稲田工芸美術研究所卒業後、週刊誌や新聞で南画やイラストを発表するようになった。1980年、「火をくんなまし」で第1回読売国際漫画大賞の近藤日出造賞を受賞。81年〜2002年末の22年間、読売新聞で政治家の似顔絵などの入った政治漫画を手がけ、風刺をきかせた作風で人気を集めた。05年には東京・銀座で画業の集大成となる個展を開いた。

「銭ゲバ」「アシュラ」「浮浪雲」などで知られる漫画家のジョージ秋山(じょーじ・あきやま)氏が 5月12日、死去。77歳。( 6/ 2 読売新聞朝刊より)
東京都生まれ、栃木県足利市育ち。1966年のデビュー当初はほのぼのギャグ路線だったが、70年から、「週刊少年サンデー」にカネのために殺人を重ねる少年を描いた「銭ゲバ」を、「週刊少年マガジン」に平安末期の飢餓地獄を舞台にした「アシュラ」を連載して読者に衝撃を与えた。
青年誌の代表作の一つ「浮浪雲」は73年から「ビッグコミックオリジナル」で開始。幕末の品川宿で、自然体でひょうひょうと生きる男の一家を中心に、市井の人々の喜怒哀楽を切り取って「人生訓マンガ」とも呼べる新境地を示し、2017年まで44年続く長期連載となった。「パットマンX」で講談社児童まんが賞、「浮浪雲」で小学館漫画賞を受賞した。

作家の五島勉(ごとう・べん)氏が 6月16日、誤嚥性肺炎のため死去。90歳。( 7/22 読売新聞朝刊より)
雑誌記者などを経て、1973年、16世紀フランスの医師がヒトラーの出現やケネディ暗殺など歴史的大事件を予言していたとする「ノストラダムスの大予言」を刊行。「1999年7の月」に人類が滅亡するのではという予言の解釈が話題となり、250万部のベストセラーに。同書はオカルトブームの火付け役ともなり、74年には映画化。予言研究家として多くの本を著した。

漫画家の桑田二郎(くわた・じろう)氏が 7月 2日、老衰のため死去。85歳。( 8/ 5 読売新聞朝刊より)
大阪府吹田市出身。13歳で漫画家デビュー。殉職した刑事の人格と記憶を移植したロボットが難事件に立ち向かう「8マン」(平井和正原作)はテレビアニメ化もされた。「まぼろし探偵」「月光仮面」「ウルトラセブン」なども手がけた。「桑田次郎」名義の作品も多い。後年は精神世界に目を向け、「般若心経」などを漫画化した。

漫画家のまつもと泉(まつもと・いずみ)氏が10月 6日、死去。61歳。(10/14 読売新聞朝刊より)
富山県出身。男女の三角関係をコメディータッチで描く「きまぐれ☆オレンジロード」が1980年代に国内外でヒットし、テレビや映画でアニメ化もされた。脳脊髄液の漏れが原因で頭痛や目まいに襲われる「脳脊髄液減少症」を長年患い、闘病しながら仕事に取り組んだ。

「釣りキチ三平」などで知られる漫画家の矢口高雄(やぐち・たかお)氏が11月20日、すい臓がんのため死去。81歳。(11/26 読売新聞朝刊より)
秋田県横手市生まれ。地元の羽後銀行(現・北都銀行)に12年勤務した後、漫画家を目指して30歳で上京し、1970年「鮎」でプロデビュー。奥羽山脈の雪深く自然豊かな山里で育った経験を基に、73年から83年、「週刊少年マガジン」で釣り漫画の先駆け「釣りキチ三平」を連載。純真な少年が全国の渓流や荒磯で放浪の釣り師らと腕を競う物語や、釣りの本格的な描写が評判となり、子供たちの間に釣りブームを起こした。
74年に同作と「幻の怪蛇バチヘビ」で講談社出版文化賞、76年、「マタギ」で日本漫画家協会賞大賞。その後も「釣りキチ三平 平成版」、エッセー「ボクの学校は山と川」など、自然と人間をテーマに創作を続けた。

漫画家の一峰大二(かずみね・だいじ)氏が11月27日、脳出血などのため死去。84歳。(12/16 読売新聞朝刊より)
東京都出身。少年雑誌でテレビの特撮ヒーローなどの漫画化(コミカライズ)を数多く手がけた。代表作に、地球侵略を企てる科学者とサイボーグ戦士の戦いを描いた「スペクトルマン」や野球漫画「黒い秘密兵器」などがある。2005年に「画業半世紀一峰大二大全集」で日本漫画家協会賞特別賞を受賞した。

社会批評を扱った「ルポルタージュ絵画」で活躍した画家の池田龍雄(いけだ・たつお)氏が11月30日、誤嚥性肺炎のため死去。92歳。(12/ 8 読売新聞朝刊より)
佐賀県生まれ。特攻隊員として終戦を迎えた。1948年に、岡本太郎らの「アヴァンギャルド芸術研究会」に参加。シュールレアリスム(超現実主義)の影響の下、50年代に戦争や労働運動などに取材した「ルポルタージュ絵画」を制作したほか、反戦や反権力をテーマにしたペン画などを発表。70年代以降は政治社会的なテーマを離れ、宇宙や生命を主題にした「BRAHMAN(ブラフマン)」シリーズを制作した。また、パフォーマンスやオブジェ制作、文筆でも活躍した。著書に「夢・現・記」がある。

漫画家の花村えい子(はなむら・えいこ)さんが12月 3日、多臓器不全のため死去。91歳。(12/ 8 読売新聞朝刊より)
埼玉県川越市出身。1959年、貸本漫画でデビューし、かわいらしい絵柄で少女漫画の先駆けとなった。レディースコミックの先駆者としても知られた。89年に日本漫画家協会賞優秀賞。代表作にテレビドラマ化された「霧のなかの少女」など。


2020年放送関係物故者

脚本家の上原正三(うえはら・しょうぞう)氏が 1月 2日、肝臓がんのため死去。82歳。( 1/10 読売新聞朝刊より)
沖縄県出身。1965年、円谷プロに入社し、「ウルトラQ」「ウルトラマン」「怪奇大作戦」などを担当。その後フリーとなり、ウルトラシリーズ、スーパー戦隊シリーズなど多くの特撮番組に携わった。2018年、自伝的小説「キジムナーkids」で坪田譲治文学賞を受賞した。

声優の勝田久(かつた・ひさし)氏が 2月21日、老衰のため死去。92歳。( 2/23 読売新聞朝刊より)
東京都出身。テレビアニメ「鉄腕アトム」のお茶の水博士の声を担当した。日本の声優界の草分けの一人として、ラジオやテレビ、外国映画の吹き替えなどで活躍した。ほかにテレビアニメ「ジャングル大帝」のマンディ役、同「サスケ」のナレーターなどを務めた。

映画撮影監督の仙元誠三(せんげん・せいぞう)氏が 3月 1日、死去。81歳。( 3/ 7 読売新聞朝刊より)
京都府出身。村川透監督、松田優作さん主演の「最も危険な遊戯」や「蘇える金狼」などを手掛けた。そのほか、「セーラー服と機関銃」「Wの悲劇」「キッチン」など多くの人気作の撮影を担当。2014年、文化庁映画賞(映画功労部門)を受賞した。

声優の増岡弘(ますおか・ひろし)氏が 3月21日、直腸がんのため死去。83歳。( 3/27 読売新聞朝刊より)
テレビアニメ「サザエさん」のサザエの夫・フグ田マスオや、「それいけ!アンパンマン」のジャムおじさんの声を昨年まで担当。テレビ番組のナレーションなどでも活躍した。

テレビドラマプロデューサー・演出家の堀川とんこう(ほりかわ・とんこう)氏が 3月28日、肺がんのため死去。82歳。( 4/ 4 読売新聞朝刊より)
群馬県出身。1961年東京放送(TBS)入社。山田太一さん脚本の「岸辺のアルバム」や、松本清張原作「西郷札」など多くのドラマを手がけた。97年の退職後は、映画「千年の恋 ひかる源氏物語」や東日本大震災を描いた山田さん脚本のドラマ「時は立ちどまらない」などで監督を務め、同作は文化庁芸術祭賞大賞などに輝いた。

新型コロナウイルスに感染し、闘病していたコメディアンの志村けん(しむら・けん)氏が 3月29日、肺炎のため死去。70歳。( 3/30 読売新聞夕刊より)
東京都東村山市生まれ。高校卒業間際に、ザ・ドリフターズのリーダーだったいかりや長介さんに弟子入りを直談判し、付き人になった。1974年、メンバーの一人、荒井注さんの脱退にともない正式メンバーとなった。
バラエティー番組「8時だョ!全員集合」(1969年〜85年)で披露した「東村山音頭」が子供たちに大受けし、人気者になった。番組終了後も、「加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ」「志村けんのだいじょうぶだぁ」などの番組で活躍。「変なおじさん」「バカ殿」などの名物キャラクターを生み出した。
近年は「天才!志村どうぶつ園」の司会なども務めた。30日に始まったNHKの連続テレビ小説「エール」に出演する予定だった。山田洋次監督の映画「キネマの神様」(12月公開)の主演に決まり、4月から撮影に入る予定だったが、新型コロナウイルス感染で辞退していた。

映画「半落ち」「出口のない海」などを手がけた映画監督の佐々部清(ささべ・きよし)氏が 3月31日、死去。62歳。( 4/ 1 読売新聞朝刊より)
山口県下関市出身。映画やテレビドラマの助監督として、崔洋一監督、降旗康男監督らに師事。2002年、「陽はまた昇る」で監督デビュー。05年には「半落ち」が、日本アカデミー賞の最優秀作品賞を受賞した。このほか「チルソクの夏」「夕凪の街 桜の国」「ツレがうつになりまして。」などを監督し、テレビドラマや舞台の演出も手がけた。

女優の荘司美代子(しょうじ・みよこ)さんが 4月 7日、脳出血のため死去。83歳。( 4/18 読売新聞朝刊より)
劇団「東京演劇アンサンブル」に所属。声優としてはアニメ「ムーミン」のミムラ姉さんなどを担当した。劇場版アニメ「千年女優」では主人公の老年期を担当し、アニー賞にノミネートされた。

「時をかける少女」「転校生」など、青春映画やファンタジー映画の名作を数多く手がけた、映画監督で文化功労者の大林宣彦(おおばやし・のぶひこ)氏が 4月10日、肺がんのため死去。82歳。( 4/11 読売新聞夕刊より)
広島県尾道市の医師の家で育ち、戦争中に幼少期を送った。1977年の「HOUSE ハウス」で商業映画デビューした。自由自在な独自の映像表現で観客を魅了。「ねらわれた学園」などを監督した後、82年に故郷の尾道を舞台にした「転校生」を発表。尾道のノスタルジックな風景を背景に、「時をかける少女」「さびしんぼう」を撮り、「尾道三部作」として熱心なファンを増やした。
その後も「異人たちとの夏」「ふたり」「青春デンデケデケデケ」など多くの人に愛される作品を撮った。2011年の東日本大震災後は、「花筐」などの「戦争三部作」で反戦のメッセージを訴え続けた。19年に文化功労者。

フリーアナウンサーの小島一慶(こじま・いっけい)氏が 4月23日、肺がんのため死去。75歳。( 4/27 読売新聞朝刊より)
長崎県出身。TBSのアナウンサーとして、ラジオの深夜放送の「パック・イン・ミュージック」やテレビの人気番組「ぴったしカン・カン」などを担当した。フリーとなった後も、TBSの「どうぶつ奇想天外!」のナレーションなどを務めた。近年は俳句結社「玉藻」の同人としても活動していた。

喜劇の名手として知られる映画監督の森崎東(もりさき・あずま)氏が 7月16日、死去。92歳。( 7/17 読売新聞夕刊より)
京大を卒業後、1956年、松竹に入社。野村芳太郎監督の助監督などを務めた後、「男はつらいよ」の第1作や、「吹けば飛ぶよな男だが」など、山田洋次作品のシナリオを山田監督と共同執筆。69年、「喜劇・女は度胸」で監督デビューを果たし、「喜劇・女は男のふるさとョ」などの「女シリーズ」で評価を確立。庶民の怒りとバイタリティーを笑いにくるんだ喜劇を得意とし、「男はつらいよ」シリーズの3作目「フーテンの寅」も手掛けた。
フリー転向後も、「黒木太郎の愛と冒険」や「生きてるうちが花なのよ死んだらそれまでよ党宣言」といった反骨精神にあふれる作品を撮る一方で、夏目雅子さん主演の「時代屋の女房」、安部譲二さんのベストセラーを映画化した「塀の中の懲りない面々」や、「釣りバカ日誌スペシャル」などのヒット作でも手腕を発揮した。
2004年公開の「ニワトリはハダシだ」が、東京国際映画祭の最優秀芸術貢献賞や、芸術選奨文部科学大臣賞などを受賞。遺作となった13年の「ペコロスの母に会いに行く」は、認知症の母親とその息子の日常を描き、キネマ旬報ベスト・テンの日本映画第1位に輝いた。
06年に旭日小綬章受章。

脚本家の桂千穂(かつら・ちほ)氏が 8月13日、老衰のため死去。90歳。( 9/ 2 読売新聞朝刊より)
岐阜県出身。にっかつロマンポルノ作品をはじめ、「HOUSE ハウス」「花筐 HANAGATAMI」といった大林宣彦監督作品など、多くの脚本を手がけた。日本シナリオ作家協会の理事などを歴任。映画評論家としても活動した。

声優の富田耕生(とみた・こうせい)氏が 9月27日、脳卒中のため死去。84歳。(10/ 2 読売新聞朝刊より)
テレビアニメ「平成天才バカボン」でバカボンのパパや、1973年放送の「ドラえもん」で初代ドラえもんの声を務めた。

「また逢う日まで」「ブルー・ライト・ヨコハマ」といった昭和歌謡から平成の「AMBITIOUS JAPAN!」まで、数々のヒット曲を手がけた作曲家の筒美京平(つつみ・きょうへい)氏が10月 7日、誤えん性肺炎のため死去。80歳。(10/13 読売新聞朝刊より)
東京都出身。幼い頃からピアノに親しみ、青山学院大在学中にはジャズバンドで活躍した。卒業後、レコード会社に就職。洋楽ディレクターとして働き、後に名コンビとなる作詞家の橋本淳さんの勧めもあり、作曲を学んだ。1966年に作曲家としてデビュー。いしだあゆみさんが歌った「ブルー・ライト・ヨコハマ」がヒットし、69年に日本レコード大賞作曲賞を受賞した。
71年には尾崎紀世彦さんの「また逢う日まで」、79年にはジュディ・オングさんの「魅せられて」と手がけた楽曲が日本レコード大賞に輝いた。シンガー・ソングライターが人気を集める時代となっても、「職業作曲家」として実力を発揮。次々とヒット曲を出し、平成に入ってもTOKIOなどに書いた曲がチャート1位を獲得している。

東映の会長の岡田裕介(おかだ・ゆうすけ)氏が11月18日、急性大動脈解離のため死去。71歳。(11/21 読売新聞朝刊より)
京都市生まれ。父は東映の社長、会長を務めた茂氏。慶応大在学中に俳優デビュー。1970年の「赤頭巾ちゃん気をつけて」などに主演した。その後、プロデュース業に転じ、高倉健さんと吉永小百合さんが初共演した80年の「動乱」などを手がけた。
88年に東映に入社。東京撮影所長などを歴任し、2002年、社長に就任した。14年から会長を務めていた。「千年の恋 ひかる源氏物語」(01年)、「北の零年」(05年)など吉永さんの主演作品の企画、製作総指揮に数多く携わり、21年公開予定の「いのちの停車場」では、陣頭指揮を執っていた。
このほか、日本映画製作者連盟会長、日本アカデミー賞組織委員会会長などを歴任。「映画館に行こう!」実行委員会の委員長として、映画人口の増加に尽力した。

イギリスの俳優デビッド・プラウズ氏が11月28日死去。85歳。(11/30 読売新聞朝刊より)
アメリカの映画「スター・ウォーズ」シリーズの悪役ダース・ベイダー役などで知られる。俳優になる前は重量挙げの選手として活躍した。

「北酒場」「石狩挽歌」など数多くのヒット曲を手がけた作詩家で直木賞作家のなかにし礼(なかにし・れい)氏が12月23日、心筋梗塞のため死去。82歳。(12/25 読売新聞夕刊より)
中国・牡丹江市生まれ。立教大在学中にシャンソンの訳詞を手がけ、1965年に菅原洋一さんが歌った「知りたくないの」で歌謡界に進出した。以後、黛ジュンさんの「天使の誘惑」、菅原さんの「今日でお別れ」、細川たかしさんの「北酒場」と、3曲の日本レコード大賞受賞曲を含む数多くのヒットを飛ばし、ヒットメーカーとして一世を風靡した。ほかにも、北原ミレイさんの「石狩挽歌」、北島三郎さんの「まつり」など手がけた作品は、約4000曲に上る。
小説の執筆、オペラや演劇など舞台作品の制作でも才能を発揮。小説では、兄との愛憎劇を描いた実質的なデビュー作「兄弟」で直木賞候補となり、次作「長崎ぶらぶら節」で、2000年に直木賞に輝いた。