2010年放送関係物故者
声優の田の中勇(たのなか・いさむ)氏が 1月13日、心筋梗塞のため死去。77歳だった。( 1/16 読売新聞朝刊より)
テレビアニメ「ゲゲゲの鬼太郎」の目玉おやじの声で有名。ほかに「スターウォーズエピソードT、U」の宇宙人、ジャージャー・ビンクスの声の吹き替えも担当した。
脚本家の宮内婦貴子(みやうち・ふきこ)さんが 2月16日、肺気腫のため死去。76歳だった。( 2/18 読売新聞朝刊より)
映画「風立ちぬ」「野菊の墓」「人間の約束」、NHK連続テレビ小説「いちばん星」などの脚本を手がけた。
脚本家の田向正健(たむかい・せいけん)氏が 3月 5日、直腸がんのため死去。73歳だった。( 3/ 6 読売新聞朝刊より)
松竹大船撮影所を経て、独立。NHK朝の連続テレビ小説「雲のじゅうたん」や、大河ドラマ「武田信玄」「信長」などを手がけた。1988年に「橋の上においでよ」で向田邦子賞、94年に「街角」で芸術選奨文部大臣賞に輝いた。
脚本家の寺内小春(てらうち・こはる)さんが 5月12日、急性心筋梗塞のため死去。78歳だった。( 7/31 読売新聞朝刊より)
NHK「おていちゃん」をはじめ、数多くのテレビドラマの脚本を手がけた。1987年にはTBS系「麗子の足」とNHK「イキのいい奴」で向田邦子賞を受賞した。
劇作家・演出家のつかこうへい氏が 7月10日、肺がんのため死去。62歳だった。( 7/12 読売新聞夕刊より)
福岡県生まれ。在日韓国人2世で、慶大在学中に演劇を始めた。74年、「劇団つかこうへい事務所」を旗揚げし、同年、「熱海殺人事件」で岸田國士戯曲賞を過去最年少の25歳で受賞。若くして脚光を浴びた。
速射砲のように連発するセリフと独特のユーモア、鋭い批判精神で若者の支持を集め、「いつも心に太陽を」「蒲田行進曲」「幕末純情伝」など話題作を発表。小劇場界では「つか以前」「つか以後」の言葉が生まれるほど、大きな影響を与えた。俳優の演技に合わせ、けいこ場でセリフを考案する「口立て」の手法も有名。三浦洋一、風間杜夫、平田満、根岸季衣、かとうかずこ、阿部寛、小西真奈美さんら、数多くの人気俳優を育てた。
94年には東京都北区が支援する「北区つかこうへい劇団」を発足。95年に「大分市つかこうへい劇団」を創設するなど、地方からの文化発信にも尽力した。
在日韓国人としての思いをつづったエッセー「娘に語る祖国」もベストセラーとなった。82年に小説版「蒲田行進曲」で直木賞、91年に「飛龍伝'90 殺戮の秋」で読売文学賞を受賞している。2007年に紫綬褒章授章。
人形アニメ作家の川本喜八郎(かわもと・きはちろう)氏が 8月23日、肺炎のため死去。85歳だった。( 8/27 読売新聞夕刊より)
人形作りを幼少時から趣味とし、1946年に東宝撮影所に入社、美術部を経て独立し、人形芸術プロダクションを設立、アニメCMなどを制作した。チェコスロバキア留学後、人形、切り絵などを用いた人形アニメ界の第一人者となった。NHKの連続人形劇「三国志」(82〜84年)、「平家物語」(93〜95年)で人形美術を担当、広く親しまれた。
映画の分野でも、72年の「鬼」で各国の映画賞を受賞、「道成寺」「火宅」などで日本の古典世界を表現、高い評価を受けた。遺作となった2005年の映画「死者の書」で、文化庁メディア芸術祭優秀賞を受賞した。
88年に紫綬褒章、95年に勲四等旭日小綬章を授章。
劇作家・演出家の山元清多(やまもと・きよかず)氏が 9月12日、肺がんのため死去。71歳だった。( 9/14 読売新聞朝刊より)
通信社の記者を経て1968年、黒テント創立に参加。代表作にブレヒト戯曲の設定を日本に移した「ハザマとスミちゃん」「隠し砦の肝っ玉」など。83年「比置野(ピノッキオ)ジャンバラヤ」で岸田國士戯曲賞。「ムー一族」「カミさんの悪口」などテレビドラマの脚本も多数手がけた。
俳優で声優の野沢那智(のざわ・なち)氏が10月30日、肺がんのため死去。72歳だった。(10/31 読売新聞朝刊より)
東京都出身。劇団薔薇座を結成。演出家として、芸術祭賞を受賞した「スイート・チャリティー」など多くの舞台を手がけた。
1960年代から、テレビのアニメや洋画の吹き替えで活躍。アラン・ドロンのほか、ブルース・ウィリス、アル・パチーノら、二枚目から個性派まで幅広い役柄の吹き替えをこなした。アニメでは、「新・エースをねらえ!」「スペースコブラ」などに出演した。
ラジオDJとしても、TBSラジオの深夜番組「パックインミュージック」を声優の白石冬美さんとともに67年から15年間担当し、人気を集めた。
アニメ「宇宙戦艦ヤマト」のプロデューサーの西崎義展(にしざき・よしのぶ)氏が11月 7日、東京都小笠原村父島付近の海で船から転落し、死亡した。75歳だった。(11/ 8 読売新聞朝刊より)
「宇宙戦艦ヤマト」の著作者が誰かを巡って漫画家の松本零士さんと訴訟になり、2003年に和解が成立した。
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