2007年放送関係物故者
クレージーキャッツのメンバーで、俳優の植木等(うえき・ひとし)氏が 3月27日、呼吸不全のため死去。80歳だった。( 3/28 読売新聞朝刊より)
三重県出身。東洋大学卒業後、ハナ肇さん率いるクレージーキャッツに参加。ハナさんや谷啓さんらとともに斬新な音楽コントを演じ、注目された。
1959年に始まった「おとなの漫画」(フジテレビ系)、61年の「シャボン玉ホリデー」(日本テレビ系)などのバラエティー番組でグループの人気が爆発。「無責任」シリーズ、「日本一」シリーズなどの映画では、高度経済成長を風刺するような軽薄なサラリーマンを演じ、60年代の日本喜劇を引っ張った。
また、映画の中で歌った「スーダラ節」「ハイそれまでョ」などが大ヒット。「分っちゃいるけどやめられない」などの流行語が生まれたほか、「お呼びでない」などのせりふで日本中から愛された。
70年代以降は演技派に転身。86年の木下恵介監督「新・喜びも悲しみも幾歳月」で日本アカデミー助演男優賞を受賞。90年代に入っても、数多くの番組やCM、映画に出演していた。93年に紫綬褒章、99年に勲四等旭日小綬章を受賞。
作詞家で作家としても活躍した阿久悠(あく・ゆう)氏が 8月 1日、尿管がんのため死去。70歳だった。( 8/ 2 読売新聞朝刊より)
兵庫県出身。明治大学卒業後、広告会社勤務を経て、放送作家として独立。1960年代半ばから、作詞家活動を始めた。
71年に尾崎紀世彦さんが歌った「また逢う日まで」のヒットで注目され、70年代後半には石川さゆりさんの「津軽海峡・冬景色」、ピンク・レディーの「ペッパー警部」、八代亜紀さんの「舟唄」など大ヒット曲を連発した。
作家としても、代表作「瀬戸内少年野球団」(79年)は第82回直木賞の候補になり、映画化もされた。97年に菊池寛賞、99年に紫綬褒章を受けている。
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