2017年放送関係物故者
テレビ・映画プロデューサーの近藤晋(こんどう・すすむ)氏が 2月 2日、誤嚥性肺炎のため死去。87歳。( 2/ 3 読売新聞夕刊より)
NHK大河ドラマ「黄金の日日」や映画「陰陽師」などを手がけた。
「ツィゴイネルワイゼン」「けんかえれじい」などで知られる映画監督の鈴木清順(すずき・せいじゅん)氏が 2月13日、慢性閉塞性肺疾患のため死去。93歳。( 2/23 読売新聞朝刊より)
東京・日本橋生まれ。1948年、旧制弘前高校卒業後、松竹に入社。54年、日活に移籍し、56年「港の乾杯 勝利をわが手に」で監督デビュー。「関東無宿」「東京流れ者」など、鮮烈な色彩と映像感覚の“清順美学”に貫かれた作品群で若い映画ファンを魅了した。高橋英樹さん主演の青春映画「けんかえれじい」でも評価を集めた。
67年に宍戸錠さん主演の「殺しの烙印」を発表するが、その翌年、日活側は、作風が難解な「わからない映画」を作るなどとして鈴木さんとの専属契約を解除し、監督作のフィルム貸し出しを拒否。裁判闘争となり、71年に和解するが、映画を撮れない状態が続いた。
77年、復帰第1作として、「悲愁物語」を監督。80年の「ツィゴイネルワイゼン」では、幻想と現実が交錯する中で繰り広げられる男女の物語を圧倒的な映像美をもって描き、同年度の国内映画賞を軒並み受賞。ベルリン国際映画祭ではコンペティション部門に出品され特別表彰を受けた。
その後の「陽炎座」「夢二」「ピストルオペラ」でも華麗な映像絵巻を展開、時を重ねてなお若者を魅了し続けた。2005年「オペレッタ狸御殿」がカンヌ国際映画祭の特別招待作品となり、公式上映に出席。満員の会場でスタンディングオベーションを受けた。同作が最後の監督作となったが、その作品の数々は、世代を超えて国内外の監督たちに影響を与え続けた。
白いあごひげとひょうひょうとしたキャラクターが買われ、俳優としても、映画、テレビにも多数出演し、高い評価を集めた。元NHKのアナウンサーの鈴木健二さんは実弟。1990年に紫綬褒章、96年に旭日小綬章を受賞。
「我が良き友よ」などヒット曲で知られる歌手のムッシュかまやつ氏が 3月 1日、膵がんのため死去。78歳。( 3/ 2 読売新聞夕刊より)
東京出身。父親はジャズ歌手のティーブ釜萢。高校在学中にカントリー・アンド・ウエスタンの学生バンドを結成。1964年には堺正章さんらが所属するバンド、ザ・スパイダースの正式メンバーとなり、ボーカル兼ギタリストとして「フリフリ」「あの時君は若かった」「夕陽が泣いている」などヒット曲を連発。グループサウンズブームの中心的な存在となった。
同バンド解散前年の70年からソロ活動を本格化。自身で作曲した「どうにかなるさ」「四つ葉のクローバー」、吉田拓郎さんとの共演曲「シンシア」などが人気を集めた。とぼけたような独特の歌い方で、75年に吉田さんから提供された「我が良き友よ」は、約70万枚を売る大ヒットとなった。
その後も多彩な作品を制作。テレビドラマ「時間ですよ」シリーズなどにも出演していた。
1970年代初頭から活動し、代表曲「教訓T」などで知られるシンガー・ソングライターの加川良(かがわ・りょう)氏が 4月 5日、死去。69歳。( 4/ 6 読売新聞朝刊より)
1970年に全日本フォークジャンボリーに出演。翌年出した初アルバムに収録された「教訓T」は、反戦歌的な内容で「命を すてないようにネ」「にげなさい かくれなさい」とストレートに訴え、評判となった。フォークのブームを盛り上げ、吉田拓郎さんが歌った「加川良の手紙」の作詞者としても知られる。
鳳啓助さんとの夫婦漫才コンビで人気を集め、女優としても活躍した京唄子(きょう・うたこ)さんが 4月 6日、肺炎のため死去。89歳。( 4/ 7 読売新聞夕刊より)
京都府出身。1956年、夫の啓助さんと漫才コンビを結成。大きな口が特徴で、とぼけた味わいの啓助さんに突っこみを入れる漫才で人気者になり、「てなもんや三度笠」「スチャラカ社員」などテレビのお笑い番組で活躍した。
離婚後も、コンビは継続。司会を務めた関西テレビ系の「唄子・啓助のおもろい夫婦」は長寿番組として親しまれた。個性派女優として、テレビドラマ「渡る世間は鬼ばかり」などでも活躍した。
「南国土佐を後にして」や「学生時代」などのヒット曲で知られる歌手のペギー葉山(ぺぎー・はやま)さんが 4月12日、肺炎のため死去。83歳。( 4/13 読売新聞朝刊より)
東京都出身。高校在学中からジャズバンドの専属歌手として活動を開始。進駐軍クラブなどで米国のジャズやポップスを歌った。1952年に「ドミノ」でレコードデビュー。59年の「南国土佐を後にして」では、望郷の念を描いた叙情歌をつややかに歌い上げ、大ヒットさせた。
この曲が転機となり、凛とした存在感のある歌声で幅広い作風の曲を歌った。「つたの絡まるチャペルで」と歌い始める「学生時代」はキャンパス・ソングのはしりとされてロングセラーに。米国で見たミュージカル「サウンド・オブ・ミュージック」に感銘を受け、劇中歌「ドレミの歌」に自ら訳詞をつけた。「ドはドーナツのド レはレモンのレ」と歌うペギー版は、現在も親しまれている。
NHK紅白歌合戦の司会を務めるなどテレビの世界でも活躍。特撮ドラマ「ウルトラマンタロウ」では、人間の姿となった「ウルトラの母」を演じた。
夫は俳優の根上淳さん(2005年死去)で、介護の様子を記録した著書も出版した。1995年に紫綬褒章。2004年に旭日小綬章。07〜10年に日本歌手協会会長を務めた。
映画監督の坂野義光(ばんの・よしみつ)氏が 5月 7日、くも膜下出血のため死去。86歳。( 5/10 読売新聞朝刊より)
愛媛県今治市出身。東大卒業後、東宝に入社。黒沢明監督などの助監督を経て、1971年に「ゴジラ対へドラ」で監督デビュー。2014年の米ハリウッド版「GODZILLA ゴジラ」のエグゼクティブ・プロデューサーも務めた。日本テレビの紀行番組「すばらしい世界旅行」の制作にも携わった。著書に「ゴジラを飛ばした男」がある。
「瀬戸の花嫁」「よこはま・たそがれ」など、数多くのヒット曲を残した昭和歌謡の第一人者の作曲家で、歌手としても活躍した平尾昌晃(ひらお・まさあき)氏が 7月21日、肺炎のためため死去。79歳。( 7/23 読売新聞朝刊より)
東京に生まれ、その後、神奈川県藤沢市に転居した。慶応高時代にバンドのボーカルとして米軍キャンプ回りを始め、1958年に歌手としてレコードデビュー。山下敬二郎さん、ミッキー・カーチスさんとともに「ロカビリー3人男」と呼ばれ、脚光を浴びた。
60年代後半からは作曲家として活躍。布施明さんの「霧の摩周湖」や、小柳ルミ子さんの「わたしの城下町」「瀬戸の花嫁」、五木ひろしさん「よこはま・たそがれ」などをヒットさせた。五木さんが歌った「夜空」は73年の日本レコード大賞に輝いている。親しみやすいメロディーを生みだし、歌謡曲の黄金時代を支え、長きにわたって日本の音楽界をリードした。
近年はNHK紅白歌合戦のフィナーレで披露される「蛍の光」の指揮者を務めていた。
「聖母たちのララバイ」「時間よ止まれ」などのヒット曲や童謡「北風小僧の寒太郎」の歌詞で知られる作詞家で脚本家の山川啓介(やまかわ・けいすけ)氏が 7月24日、肺がんのためため死去。72歳。( 7/27 読売新聞朝刊より)
長野県出身。早大在学中に作詞を始めた。作曲家のいずみたくさんに見いだされ、青春ドラマの主題歌「太陽がくれた季節」(歌・青い三角定規)で注目された。岩崎宏美さん「聖母たちのララバイ」、中村雅俊さん「ふれあい」、矢沢永吉さん「時間よ止まれ」など劇的で情景の浮かぶ名曲を作詞。アニメ「銀河鉄道999」の劇場版の主題歌(共作)や「宇宙刑事ギャバン」など特撮テレビ番組の主題歌も手掛けた。
子供向けの歌の作詞には、本名・井出隆夫を使用。NHKの幼児番組「おかあさんといっしょ」に長年携わり、「にこにこ、ぷん」「ドレミファ・どーなっつ!」など着ぐるみ人形劇の原作・脚本も担当した。ミュージカルの分野では、大竹しのぶさん主演「にんじん」の作詞・脚本なども手掛けた。
俳優の中島春雄(なかじま・はるお)氏が 8月 7日、肺炎のためため死去。88歳。( 8/ 8 読売新聞夕刊より)
山形県酒田市出身。1954年、シリーズ第1作となる映画「ゴジラ」から着ぐるみの中に入ってゴジラを演じ、シリーズ12本で同役を務めた。56年の映画「空の大怪獣ラドン」など、映画、テレビで多くの怪獣役を務めた。著書に「怪獣人生 元祖ゴジラ俳優・中島春雄」がある。
俳優、声優の槐柳二(さいかち・りゅうじ)氏が 9月29日、うっ血性心不全のため死去。89歳。(10/ 3 読売新聞朝刊より)
アニメ「天才バカボン」のレレレのおじさん役や「赤毛のアン」のマシュウ役などを担当。俳優としても、井上ひさしさん作の舞台などに出演した。
「悲しくてやりきれない」などのヒット曲で知られるフォークグループ「ザ・フォーク・クルセダーズ」の元メンバーで、フォーク歌手のはしだのりひこ氏が12月 2日、死去。72歳。(12/ 3 読売新聞朝刊より)
京都市出身。きたやまおさむさんや加藤和彦さんが1965年に結成し、「帰って来たヨッパライ」などをヒットさせた「ザ・フォーク・クルセダーズ」に参加し、「関西フォーク」ブームの先駆けとなった。解散後、別のグループで活動。ヒット曲に「風」「花嫁」などがある。
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