2014年放送関係物故者
人気司会者で歌手、タレントのやしきたかじん氏が 1月 7日死去。64歳。( 1/ 8 読売新聞朝刊より)
大阪府生まれ。大学時代から歌手活動を始め、1984年に「あんた」、86年に「やっぱ好きやねん」など次々にヒット曲を放つ一方、歯に衣を着せぬ発言が人気を呼び、関西の民放テレビで司会者として活躍、「関西の視聴率男」との異名を取った。
「たかじん胸いっぱい」(関西テレビ)、「たかじんのそこまで言って委員会」(読売テレビ)、「たかじんNOマネー」(テレビ大阪)など、自身の名前を冠した数多くのレギュラー番組に出演していた。
声優、俳優の加藤精三(かとう・せいぞう)氏が 1月17日、膀胱がんのため死去。86歳。( 1/18 読売新聞朝刊より)
アニメ「巨人の星」で主人公の厳格な父親、星一徹役を演じて人気を集め、特撮ドラマや映画の吹き替えでも活躍した。
テレビアニメ「サザエさん」の磯野波平役などで親しまれた声優の永井一郎(ながい・いちろう)氏が 1月27日、虚血性心疾患のため死去。82歳。( 1/28 読売新聞朝刊より)
大阪府池田市出身。京大卒業後、電通に入社したが演劇を志して退社し、劇団に入った。その後、声優に転じ、1969年に始まった「サザエさん」(フジテレビ系)で、頑固な一家の大黒柱・波平を当初から務めてきた。
他にもアニメ「宇宙戦艦ヤマト」の佐渡酒造、「じゃりん子チエ」の小鉄、「うる星やつら」の錯乱坊など、渋さの中にも軽妙な味わいのある声で、幅広い役をこなした。「機動戦士ガンダム」など多くの番組でナレーションも担当した。
スイスのデザイナー、ハンス・ルドルフ・ギーガー氏が 5月12日、落下事故によるけがのため死去。74歳。( 5/14 読売新聞朝刊より)
スイスで生まれ、チューリヒで建築と工業デザインを学んだ。1960〜70年代に多数の音楽バンドのレコードジャケットを手がけた。79年の映画「エイリアン」で異星生物をデザインし、アカデミー賞視覚効果賞を受賞した。
バリトン歌手、東京芸大名誉教授の平野忠彦(ひらの・ただひこ)氏が 6月13日、急性心筋梗塞のため死去。76歳。( 6/14 読売新聞夕刊より)
「フィガロの結婚」「三文オペラ」などに主演し、「夕鶴」など多くの和製オペラの初公演に出演。ミュージカル「アニー」でも活躍した。テレビアニメ「ジャングル大帝」の主題歌も歌った。
NHKの看板ディレクターとして活躍した演出家の深町幸男(ふかまち・ゆきお)氏が 6月21日死去。83歳。( 6/23 読売新聞朝刊より)
早大卒業後、新東宝の助監督を経て、1963年にNHK入局。人間への鋭い観察と情感豊かな映像によって、吉永小百合さんが主演した「夢千代日記」をはじめ、向田邦子作品を原作にした「あ・うん」「父の詫び状」、社会的テーマを扱った「事件」など、数々のドラマを演出した。
87年にNHKを退職後、民放のドラマや舞台も数多く演出。2000年公開の映画「長崎ぶらぶら節」も監督した。95年に紫綬褒章。
声優の仲村秀生(なかむら・しゅうせい)氏が 7月30日死去。79歳。( 8/ 7 読売新聞朝刊より)
テレビアニメ「あしたのジョー」の力石徹や「宇宙戦艦ヤマト」の島大介らの声を担当した。
作詞家で直木賞作家の山口洋子(やまぐち・ようこ)さんが 9月 6日、呼吸不全のため死去。77歳。( 9/16 読売新聞夕刊より)
名古屋市出身。東映の第4期ニューフェースに選ばれたが、女優の道をあきらめ、東京・銀座でクラブ「姫」を開店。その後作詞を始めた。五木ひろしさんの「よこはま・たそがれ」が1971年に大ヒット。五木さんはこの曲をきっかけにスターの座をつかんだ。
男女関係の機微を象徴的な言葉を使い、巧みに表現した。五木さんの曲では「長崎から船に乗って」や「千曲川」、日本レコード大賞を受賞した「夜空」なども作詞。中条きよしさんの「うそ」、石原裕次郎さんの「ブランデーグラス」、山川豊さんの「アメリカ橋」なども手がけた。
小説も執筆し、84年に「プライベート・ライブ」で吉川英治文学新人賞。翌年、「演歌の虫」「老梅」で直木賞を射止めた。クラブ経営で身につけた人間観察力を生かし、「夜の底に生きる」「愛されかた知ってますか」などの小説、エッセーを多数発表。96年には、「姫」の歴史をつづった「ザ・ラスト・ワルツ」を発表した。また、プロ野球選手や芸能人などとの幅広い交友関係でも知られた。
声優の家弓家正(かゆみ・いえまさ)氏が 9月30日死去。80歳。(10/ 9 読売新聞朝刊より)
フランク・シナトラらの洋画吹き替えや、アニメーション映画「風の谷のナウシカ」のクロトワ役などを務めた。
「岸辺のアルバム」「ふぞろいの林檎たち」などのヒットドラマで知られるテレビ演出家でプロデューサーの大山勝美(おおやま・かつみ)氏が10月 5日、多臓器不全のため死去。82歳。(10/ 8 読売新聞夕刊より)
1957年、東京放送(TBS)に入社し、92年に退職するまで一貫してドラマ畑を歩いた。62年に「若もの 努の場合」で芸術祭奨励賞を受賞したのを手始めに、次々と話題作を演出・制作。「賞取り男」の異名を取り、TBSドラマの黄金時代を築いた。
77年に放送された「岸辺のアルバム」などの制作で芸術選奨文部大臣賞。その後も脚本家の向田邦子さん、倉本聰さん、山田太一さんらと組み、人間の内面に切り込む作品を次々と生み出した。83年には、さえない若者たちの日常を等身大でで描いた「ふぞろいの林檎たち」が大ヒットした。TBS退社後に制作会社「カズモ」を設立。「蔵」(NHK)をはじめ、数多くのテレビドラマを制作、演出した。94年に紫綬褒章を受章。番組制作の経験者などで作る「放送人の会」の代表幹事も務めた。
元日本テレビ・チーフディレクターの吉野洋(よしの・ひろし)氏が10月24日死去。72歳。(10/28 読売新聞朝刊より)
倉本聰さん脚本の「前略おふくろ様」(1975〜77年)をはじめ、「星の金貨」(95年)など多くのドラマを演出した。
元NHK会長の川口幹夫(かわぐち・みきお)氏が11月 5日、胃がんのため死去。88歳。(11/ 6 読売新聞朝刊より)
鹿児島県生まれ。1950年にNHK入局。主に芸能畑を歩み、「夢であいましょう」などの音楽・バラエティー分野の番組を担当。「紅白歌合戦」にショー的要素を取り込み、国際色も持たせるなどして人気を高め、国民的番組に育てた。
放送総局長、NHK交響楽団理事長を経て、91年7月に国会虚偽答弁問題で引責辞任した島桂次会長の後任として、会長に就任。2期6年の任期を務めた。
映画「網走番外地」「幸福しあわせの黄色いハンカチ」「鉄道員」などで男気のある寡黙な人物を演じ、「健さん」と親しまれた日本映画界のスター、高倉健(たかくら・けん)氏が11月10日、悪性リンパ腫のため死去。83歳。(11/18 読売新聞夕刊より)
福岡県中間市生まれ。明治大商学部卒業後、東映に第2期ニューフェースとして入社。1956年、「電光空手打ち」で俳優デビュー。「日本侠客伝」「昭和残侠伝」「網走番外地」などの任侠映画で一世を風靡した。
東映を退社後、「君よ憤怒の河を渉れ」(76年)、「八甲田山」(77年)に相次いで出演。「幸福の黄色いハンカチ」(77年)で、日本アカデミー賞などの主演男優賞を受賞した。
80年代以降は「駅/STATION」「南極物語」「あ・うん」などで日本映画の屋台骨を支える活躍を見せた。浅田次郎さんの直木賞受賞作を映画化した「鉄道員」(99年)や、特攻隊から生還した漁師を演じた「ホタル」(2001年)に主演。米国映画「ブラック・レイン」(1989年)、中国映画「単騎、千里を走る。」(2005年)など国際的にも活躍した。12年には6年ぶりに映画「あなたへ」に主演し、亡き妻の遺灰を故郷の海に散骨するため旅をする男を演じた。13年に文化勲章。
矢沢永吉さんらとともにロックバンド「キャロル」で活躍した歌手で俳優のジョニー大倉(じょにー・おおくら)氏が11月19日、肺炎のため死去。62歳。(11/27 読売新聞夕刊より)
1972年にキャロルの一員としてデビュー。翌年には大倉さん作詞、矢沢さん作曲の「ファンキー・モンキー・ベイビー」がヒットした。リーゼントに革ジャンというスタイルで、若者を熱狂させた。75年のキャロル解散後はソロで音楽を続け、俳優としても活躍した。81年の映画「遠雷」では日本アカデミー賞優秀助演男優賞を受賞。その後も大島渚監督の「戦場のメリークリスマス」などに出演した。
作曲家の越部信義(こしべ・のぶよし)氏が11月21日、脳梗塞と肺炎の合併症のため死去。81歳。(11/28 読売新聞朝刊より)
童謡「おもちゃのチャチャチャ」や、テレビアニメ「パーマン」「マッハGoGoGo」の主題歌、「サザエさん」の挿入曲などを作曲。「光る東芝」などCMソングも多数手がけた。
映画特撮監督の川北紘一(かわきた・こういち)氏が12月 5日、肝不全のため死去。72歳。(12/11 読売新聞夕刊より)
「ゴジラVSビオランテ」(1989年)などのSF映画で特撮技術監督を務めた。
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