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選評  出版関係物故者  放送関係物故者

対象作品は発表された年ではなく、サイト主宰者が実際に目にした年のものとしています。



部門ノミネート作品ベスト作品
図書部門 小説の部 「木蓮荘綺譚 伊集院大介の不思議な旅」「田紳有楽・空気頭」 該当作なし
漫画の部 「妖怪ハンター」「アル中病棟 失踪日記2」 該当作なし
映像部門 映画の部 「ALWAYS 三丁目の夕日'64」「テルマエ・ロマエ」 該当作なし
テレビドラマの部 「八重の桜」「家族ゲーム」「怪奇大作戦 ミステリー・ファイル」「オリンピックの身代金」 該当作なし
アニメーションの部 「ちびまる子ちゃん」「クレヨンしんちゃん」「宇宙戦艦ヤマト2199」 該当作なし
音楽部門 アルバムの部 「ON THE ROAD 2011 "The Last Weekend"」「The Best of Shogo Hamada vol.3 The Last Weekend」 「ON THE ROAD 2011 "The Last Weekend"」

2013年選評

与志田選2013年総括。他と比較して必ずしも強い印象があるわけではないのですが、コメントが書きたくてノミネートに入れているようなタイトルもあります。また、今年はWeb版以前にはあった音楽部門を追加しました。( 14/01/26 )

<図書部門>
『木蓮荘綺譚 伊集院大介の不思議な旅』(栗本薫・講談社刊)
読むのをわざと先延ばしにしていたけど、いよいよ伊集院大介シリーズ最終巻を読み終えてしまいました。淋しい。
『田紳有楽・空気頭』(藤枝静男・講談社刊)
久坂部羊のエッセイで触れられていたので読んでみたところ…。なるほど不快な気分にさせられる描写も少なくない奇妙な話です。
『妖怪ハンター』(諸星大二郎・集英社刊)
作者本人は『妖怪ハンター』という題名が好みではなかったようだけど、読者にしてみるとこの文庫版全3巻でシリーズ全作品を通して読むことができるありがたい編集。今読み返しても「黒い探求者」「生命の木」など初期の作品は圧倒的印象で迫ってきます。また諸星大二郎という漫画家は初期の頃から絵柄が変わっていないように思われるが、そうでもないことがシリーズを通して読むとよくわかります。
『アル中病棟 失踪日記2』(吾妻ひでお・イースト・プレス刊)
通常の生活においてはあまり縁のない出来事を描いた暴露ものとして面白い。あの絵柄のために与える印象はやわらかくあるが、自身のことをここまで客観的に捉え、さらけ出してしまうところはとてもスゴイことのように思います。

<映像部門>
『八重の桜』( 1/ 6〜12/15・NHK総合)
毎週のように綾瀬はるかが眉間にしわを寄せているのがなんとも。役柄とはいえもっと笑顔が欲しかったです。
『家族ゲーム』( 4/17〜 6/19・フジテレビ系)
衝撃的な内容の連続で二転三転引っ張りつつ、櫻井吉本は何をしたかったのか結局最後まで見てもよくわかりません。放送時間が2週おきに長くなっているのもあれーって感じで見づらいです。
『怪奇大作戦 ミステリー・ファイル』(10/ 5〜11/16・NHK BSプレミアム)
オリジナルから45年。映像表現は格段に進歩しているものの、いずれの回もマッドサイエンティストものでいささか食傷気味。後味もあまりよくありません。犯罪を扱いながらも、オリジナルはもっとロマンが感じられたように思います。
『宇宙戦艦ヤマト2199』( 4/ 7〜 9/29・TBSテレビ系)
明らかに松本零士のキャラクターをもとにしていながらタイトルバックにはその名前が一切出てきません。それでも旧作に対する製作スタッフの敬意は十分に払われているように思えます。懐かしさと新しさがうまく同居して、「さらば〜」以降の劇場版およびTVシリーズにくらべればよっぱど出来がいいです。

<音楽部門>
『ON THE ROAD 2011 "The Last Weekend"』(浜田省吾・SME Records)
80年代にはまった『J.BOY』以来、ひさびさに浜田省吾の曲を聴きたくなりました。『The Best of Shogo Hamada vol.3』でも選曲されている表題作の「僕と彼女と週末に」「詩人の鐘」「Rising Sun」等、浜田自ら「硬質な祈りの歌」と呼ぶ社会的なテーマを含んだ一連の曲がズンと胸に響きます。


2013年出版関係物故者

漫画家のいわしげ孝(いわしげ・たかし)氏が 3月 6日死去。58歳だった。( 3/23 読売新聞夕刊より)
鹿児島から上京した熱血男子の青春を描き、1979年〜85年に連載した「ぼっけもん」で、小学館漫画賞。純情一徹な主人公を描く作風で知られた。他の作品に「花マル伝」など。

短編の名手でコラム「推理日記」でも知られた推理小説界の重鎮、佐野洋(さの・よう)氏が 4月27日死去。84歳だった。( 4/28 読売新聞朝刊より)
東京都生まれ。東大在学中に、日野啓三さん、大岡信さんらと同人雑誌「現代文学」を創刊。読売新聞地方部時代の1958年、「宝石」「週刊朝日」共同募集の懸賞探偵小説で「銅婚式」が2位入選。59年、長編第1作「一本の鉛」で作家専業に。日本推理作家協会賞の「華麗なる醜聞」など、スマートで技巧的な推理小説で、人気作家となり、短編の名手としても知られた。
73〜79年に日本推理作家協会理事長を務めたほか、「小説推理」誌で73年から2012年まで39年間、474回にわたって名物批評コラム「推理日記」を連載。現役作家による推理文壇批評として親しまれ、09年には菊池寛賞を受賞した。死刑廃止運動や辰野事件、布川事件などの冤罪事件にも積極的に関わった。1997年に第1回日本ミステリー文学大賞。

アメリカの作家、リチャード・マシスン氏が 6月23日死去。87歳だった。( 6/26 読売新聞朝刊より)
ニュージャージー州生まれ。SFやファンタジー、ホラー小説の名手で、「アイ・アム・レジェンド」などの作品を残したほか、人気テレビシリーズ「トワイライトゾーン」などの脚本も手がけた。

アメリカのSF作家フレデリック・ポール氏が 9月 2日死去。93歳だった。( 9/ 4 読売新聞夕刊より)
1978年、「ゲイトウエイ」でSF界で権威があるヒューゴー賞を受賞。SF雑誌の編集者としても活躍した。代表作に「宇宙商人」、「チェルノブイリ」など。

「白い巨塔」や「沈まぬ太陽」など、巨大組織の暗部や戦争のむごさを浮き彫りにする長編小説を書き続けた直木賞作家の山崎豊子(やまさき・とよこ)さんが 9月29日死去。88歳だった。( 9/30 読売新聞夕刊より)
大阪・船場の老舗の昆布商で生まれ、1944年、毎日新聞大阪本社に入社。学芸部記者として在籍中の57年、生家をモデルにした「暖簾」でデビュー。58年、2作目の「花のれん」で直木賞を受賞し、退社して作家活動に入った。
国立大医学部の教授ポストをめぐる権力闘争を告発した「白い巨塔」(65〜69年)以来、「華麗なる一族」(73年)、「不毛地帯」(76〜78年)、ジャンボ機墜落事故を招いた航空会社の腐敗体質をえぐった「沈まぬ太陽」(99年)など、綿密な取材に基づく社会派の視点で、不条理な組織体質や権力の矛盾に切り込んだ。作品は相次いでテレビドラマ化されて高視聴率を上げ、映画でも話題を呼んだ。
太平洋戦争を経験した日系アメリカ人2世を描いた「二つの祖国」(83年)、中国残留孤児の半生をつづった「大地の子」(91年)では、国際的な取材によって現代史を見据え、重厚な群像劇を構築した。91年、菊池寛賞を受賞。93年には、帰国した中国残留孤児らを支援する「山崎豊子文化財団」を印税で設立した。
沖縄返還時の日米密約を暴いた新聞記者に取材、沖縄戦の悲劇を描きこんだ長編小説「運命の人」(2009年)刊行後、全身に激痛が走る原因不明の病に苦しんだ。それでも13年8月、旧海軍士官の父と海上自衛官の息子を主人公に、国家と戦争の本質を問う大河小説「約束の海」の週刊誌連載を始めるなど、執筆意欲は最期まで衰えなかった。

アニメ化もされた国民的な人気絵本「アンパンマン」の作者で、童謡「手のひらを太陽に」の作詞でも知られる漫画家で絵本作家のやなせたかし氏が10月13日、心不全のため死去。94歳だった。(10/16 読売新聞朝刊より)
高知県出身。東京高等工芸学校図案科(現千葉大)卒。終戦後、高知新聞記者を勤めた後上京、三越宣伝部デザイナーを経て34歳で漫画家として独立した。
多彩な才能を生かして放送作家、童話、詩でも活躍。1961年に作曲家いずみたくと組んで童謡「手のひらを太陽に」を作詞し、73年には雑誌「詩とメルヘン」を創刊し編集長を30年務めた。
73年には「アンパンマン」の最初の漫画絵本を刊行。丸いアンパンでできた自分の顔を困った人に食べさせる異色のヒーローは、子どもたちに愛されて浸透し、代表作に。88年からのテレビアニメ「それいけ!アンパンマン」の放送で爆発的な人気となった。絵本シリーズは約350作累計6800万部、劇場版映画も今年7月の公開作で25作に達した。
90年に日本漫画家協会大賞、95年、同協会文部大臣賞を受賞。2000年から同協会理事長、12年から同協会会長を務めていた。

雑誌「広告批評」元編集長でコラムニストの天野祐吉(あまの・ゆうきち)氏が10月20日、間質性肺炎のため死去。80歳だった。(10/21 読売新聞夕刊より)
東京都出身。博報堂などの勤務を経て、1970年にマドラ出版を設立。79年に「広告批評」を創刊し、テレビCMなどの広告を作品として批評するスタイルを確立し、糸井重里さんらコピーライターが注目されるきっかけを作った。
同誌は2009年に休刊となったが、コラムニストとして「私説広告五千年史」など多くの著書があるほか、童話作家やテレビのコメンテーターとしても活躍した。02年には松山市立子規記念博物館館長に就任し、07年から名誉館長。


2013年放送関係物故者

「愛のコリーダ」「戦場のメリークリスマス」などで日本映画の世界的評価を高めた映画監督の大島渚(おおしま・なぎさ)氏が 1月15日、肺炎のため死去。80歳だった。( 1/16 読売新聞朝刊より)
京都府出身。1954年、京大卒業後、松竹大船撮影所に入社。大庭秀雄監督らの助監督を務めた後、59年に「愛と希望の街」で監督デビュー。続く「青春残酷物語」などで、篠田正浩監督らと共に「松竹ヌーベルバーグ」と呼ばれ、日本映画界に新風を送り込んだ。
安保闘争を背景にした「日本の夜と霧」の上映中止を巡って会社側と対立し、61年に松竹を退社。妻で女優の小山明子さんらと共に独立プロ「創造社」を創設。「絞死刑」など日本社会に対する問題提起に満ちた作品を発表した。
76年には昭和初期の猟奇殺人事件「阿部定事件」を題材にした日仏合作の「愛のコリーダ」をカンヌ国際映画祭監督週間の開幕作品として発表、世界的評価を確立する一方で、性描写問題に一石を投じた。さらに、78年の「愛の亡霊」では同映画祭監督賞を受賞。80年代も「戦場のメリークリスマス」「マックス、モン・アムール」と国際的な話題作を手がけた。
96年に講演のため訪れていたロンドンの空港で脳出血を起こして倒れた後、約3年の療養を経て復帰した。99年、時代劇「御法度」を完成させ、翌年のカンヌ映画祭コンペティション部門に参加。これが最後の作品となった。
コメンテーターとしてのテレビ出演も多く、社会に対する怒りを隠さない直言でお茶の間に親しまれた。
80年から96年まで、日本映画監督協会理事長。2000年に紫綬褒章を受章している。

アニメ「エイトマン」の主題歌や「さすらい」などのヒット曲で知られる元歌手の克美しげる(かつみ・しげる)氏が 2月27日、脳出血のため死去。75歳だった。(10/ 3 読売新聞朝刊より)
宮崎県出身。1960年代初めに「霧の中のジョニー」などのヒット曲を飛ばし、64年から2年連続でNHK紅白歌合戦に出場した。76年に愛人女性を殺害。懲役10年の判決を受け服役。89年には、覚醒剤取締法違反で実刑判決を受けた。

アニメ「ルパン三世」の銭形警部の声で知られる俳優の納谷悟朗(なや・ごろう)氏が 3月 5日、慢性呼吸不全のため死去。83歳だった。( 3/12 読売新聞朝刊より)
北海道出身。立命館大学を中退後、劇団「東童」を経て、「テアトル・エコー」の中心的な俳優、演出家として活躍。ニール・サイモンの「サンシャイン・ボーイズ」などに出演した。
声優としては、米テレビ映画シリーズ「コンバット」のヘンリー少尉をはじめ、チャールトン・ヘストン、ジョン・ウェイン、クラーク・ゲーブルなど大物俳優の吹き替えを担当した。
アニメでは、銭形警部のほか、「宇宙戦艦ヤマト」の沖田艦長としても有名。特撮番組「仮面ライダー」では悪の秘密結社ショッカーの首領の声も担当した。

「飢餓海峡」「神々の深き欲望」など数々の映画で重厚な演技を見せ、「釣りバカ日誌」シリーズではコミカルな役柄で親しまれた俳優の三國連太郎(みくに・れんたろう)氏が 4月14日死去。90歳だった。( 4/15 読売新聞夕刊より)
群馬県出身。静岡県で育ち、1951年、木下恵介監督の「善魔」でデビュー。二枚目スターとして注目され、翌年の「本日休診」で演技派として頭角を現した。以後、「警察日記」「ビルマの竪琴」「異母兄弟」「にっぽん泥棒物語」「復讐するは我にあり」など、市川崑、今村昌平ら様々な名監督の作品に出演し、実力を示した。中でも、65年の内田吐夢監督「飢餓海峡」では、過去に殺人を犯した実業家役を熱演し、映画賞を総なめにした。
その後も、「利休」「息子」「ひかりごけ」「マルサの女2」などの話題作で存在感を発揮し続けた。西田敏行さんとコンビを組んだ「釣りバカ日誌」では、上司の社長スーさん役を演じ、シリーズは22作を数えた。一昨年の「大鹿村騒動記」では、長男で俳優の佐藤浩市さんと共演し、話題となった。
また、映画製作にも情熱を注ぎ、自ら脚本を書いた念願の企画「親鸞・白い道」を監督し、87年のカンヌ国際映画祭で審査員特別賞を受賞した。84年に紫綬褒章、93年に勲四等旭日小綬章。

特殊撮影監督のレイ・ハリーハウゼン氏が 5月 7日死去。92歳だった。( 5/ 8 読売新聞夕刊より)
米ロサンゼルス出身。ミニチュアの人形を1コマずつポーズを変えて連続撮影し、動いているように見せる「ストップ・モーション・アニメーション」の手法を確立。映画「シンドバッド7回目の航海」(1958年)や「タイタンの戦い」(81年)などの特殊撮影を担当した。92年にアカデミー特別賞を受賞した。

元東映プロデューサーの平山亨(ひらやま・とおる)氏が 7月31日、心不全のため死去。84歳だった。( 8/ 1 読売新聞夕刊より)
1954年東映入社。71年、プロデューサーとしてテレビ番組「仮面ライダー」を大ヒットさせ、以後も同シリーズを手がけた。ほかにも「秘密戦隊ゴレンジャー」「仮面の忍者 赤影」「ジャイアントロボ」など多くの作品の製作を手がけ、特撮ヒーロー番組の礎を築いた。

日本音楽界の重鎮で、桐朋学園大学長を長く務めた作曲家の三善晃(みよし・あきら)氏が10月 4日、心不全のため死去。80歳だった。(10/ 6 読売新聞朝刊より)
東京都出身。3歳からピアノを学び、作曲家の平井康三郎さんに師事。東京大学文学部在学中の1953年に、「クラリネット、ファゴット、ピアノのためのソナタ」で日本音楽コンクール作曲部門1位を獲得した。54年には「ピアノと管弦楽のための協奏交響曲」で尾高賞などを受賞し、一躍注目を集めた。
55〜57年にフランス政府給費留学生として渡仏し、アカデミックな作曲技法を身につけた。大規模な管弦楽曲や合唱曲を得意とし、西洋と日本の音楽語法の対比を生かした作品を発表した。代表作に「レクイエム」「詩篇」「響紋」など。99年に「焉歌・波摘み」で、史上最多となる6回目の尾高賞を受賞。同年初演されたオペラ「遠い帆」でサントリー音楽賞を贈られた。またTVアニメ「赤毛のアン」主題歌も手がけた。
74年から95年まで桐朋学園大学長、96年から2004年まで東京文化会館長を務めた。99年、日本芸術院会員。2001年に文化功労者。

加山雄三さんのヒット曲「君といつまでも」の作詞や、越路吹雪さんの「愛の讃歌」の訳詩で知られた女性作詞家の草分けで文化功労者の岩谷時子(いわたに・ときこ)さんが10月25日死去。97歳だった。(10/28 読売新聞夕刊より)
現在の韓国・ソウル生まれ。1939年、宝塚歌劇団の出版部に入り、歌劇団に在籍していた越路さんと出会った。51年、越路さんと共に東宝に移り、マネージャー業の傍ら、越路さんの歌うシャンソンの訳詞を始めた。「愛の讃歌」「ラストダンスは私に」「サン・トワ・マミー」「ろくでなし」などを世に出し、親しみやすい訳詞で、日本でもシャンソンを大衆の歌として根づかせた。
「すべては越路さんとの出逢いが始まりだった」と後年、振り返り、越路さんが80年に亡くなるまで、2人の友情は続いた。
訳詞からオリジナルの作詞を行うようになり、多数の作品を生み出した。加山さんとのコンビでは「君といつまでも」「ぼくの妹に」など広く知られる歌が多い。また、作曲家の宮川泰さん、いずみたくさんらと組んだヒット曲も数多い。64年にザ・ピーナッツの「ウラ・セラ・ディ東京」などで日本レコード大賞作詞賞に輝いた。66年にも「君といつまでも」などで2度目の同賞受賞。69年に佐良直美さんが歌った「いいじゃないの幸せならば」は、同大賞に選ばれている。
若々しい感覚に彩られた美しい日本語。そして、聴き手に優しく語りかけるような親密なムードの詞が特徴的だった。本人も「私は作曲されたメロディーか歌い手を心から愛さなければ詞が書けない」と記したように、歌手や作曲家の個性を生かした作品で知られた。
ミュージカルの訳詞にも積極的に取り組んだ。「ジーザス・クライスト・スーパースター」「レ・ミゼラブル」「ミス・サイゴン」など話題作を数多く手がけた。一方、後継者の育成にも力を入れ、「岩谷時子音楽文化振興財団」を設立。音楽・演劇界の発展に功績のあった人物を顕彰するとともに、助成事業を行っていた。
ほほ笑みを絶やさない穏やかな人柄で知られた。2009年には文化功労者に選ばれた。

プロ野球の読売巨人軍で活躍し、「打撃の神様」と呼ばれ、現役引退後は監督として巨人を日本シリーズ9連覇に導いた川上哲治(かわかみ・てつはる)氏が10月28日、老衰のため死去。93歳だった。(10/31 読売新聞朝刊より)
1938年に熊本工から巨人に入団した。投手として入団したが、打力を買われて一塁手に転向し、「弾丸ライナー」と名付けられた鋭い打球で安打を量産。2年目に19歳で首位打者を獲得するなど、不動の4番としてプレーし、56年5月にはプロ野球初の2000安打を達成した。
58年、立教大から入団した長嶋茂雄選手(現巨人終身名誉監督)に4番を譲り、現役を引退し、背番号16は永久欠番となった。コーチを経て61年シーズンから監督に就任すると、チームプレーを重視した戦術への転換を図り、6年ぶりに日本一を奪回した。65年からは王貞治選手(現ソフトバンク球団会長)、長嶋選手の「ONコンビ」を中心に、「V9」(セ・リーグ、日本シリーズ9連覇)という偉業を成し遂げた。
10連覇を逃した74年に現役引退を表明した長嶋氏に監督を譲って勇退。指揮を執った14年間で、巨人は11度、日本一に輝いた。
勇退後は、野球解説を務める傍ら、少年野球教室の講師として全国を歩き、野球の裾野拡大にも尽力した。65年に野球殿堂入り。92年には、野球界から初めて文化功労者に選ばれた。

「東京だョおっ母さん」など数多くのヒット曲で知られ、「お千代さん」の愛称で親しまれた歌手の島倉千代子(しまくら・ちよこ)さんが11月 8日、肝臓がんのため死去。75歳だった。(11/ 9 読売新聞朝刊より)
東京都生まれ。日本音楽高校在学中の1954年にコロムビア全国歌謡コンクールで優勝。翌年のデビュー曲「この世の花」がヒットして、一気にスター歌手となった。以後、「からたち日記」「恋しているんだもん」「人生いろいろ」など数多くのヒット曲を出した。
NHK紅白歌合戦には、計35回出場した。東京・新宿コマ劇場での座長公演は72年以来、25年連続で行うなど、長く人気を保ち、99年には紫綬褒章を受けた。
女優としても活躍し、59年の「からたち日記」をはじめ、数多くの映画に出演したほか、62年にはTBS系の連続ドラマ「あの橋の畔で」に出演した。

ナレーターの来宮良子(きのみや・りょうこ)さんが11月25日、多臓器不全のため死去。82歳だった。(12/ 5 読売新聞夕刊より)
テレビ番組のナレーションで活躍。1106回の長寿番組となった「演歌の花道」(テレビ東京)、「いつみても波瀾万丈」(日本テレビ)、「たけしの本当は怖い家庭の医学」(テレビ朝日)などの声を担当した。

「君は天然色」「幸せな結末」などのヒット曲で知られるミュージシャンの大瀧詠一(おおたき・えいいち)氏が12月30日、解離性動脈瘤のため死去。65歳だった。(14/ 1/ 1 読売新聞朝刊より)
岩手県出身。1970年に細野晴臣さん、松本隆さん、鈴木茂さんと組んだバンド「はっぴいえんど」でデビュー。同バンドは日本語ロックの先駆けとされ、後進に大きな影響を与えた。
その後、プロデューサーやソロアーティストとして活躍。81年には「君は天然色」がヒット。同曲を収録したアルバム「A LONG VACATION」(日本レコード大賞ベスト・アルバム賞)はミリオンセラーに。97年にはテレビドラマの主題歌「幸せな結末」がヒットした。作曲家としても、松田聖子さん「風たちぬ」、小林旭さん「熱き心に」を提供。海外のポップスから日本の歌謡曲まで幅広い知識を持ち、しゃれた作風で知られた。