2015年放送関係物故者
脚本家の須崎勝彌(すさき・かつや)氏が 1月 9日、慢性腎不全のため死去。93歳。( 1/17 読売新聞朝刊より)
映画「連合艦隊」や、山口百恵さん主演の「潮騒」、テレビドラマ「これが青春だ」などの脚本を手がけた。
アメリカSFドラマ「スター・トレック」で耳がとがった「ミスター・スポック」を演じたアメリカの俳優レナード・ニモイ氏が 2月27日死去。83歳。( 2/28 読売新聞夕刊より)
「スター・トレック」は1966年にテレビ放映が始まり、映画もシリーズ化された。オバマ米大統領は声明で「私はスポックが大好きだった」と悼んだ。
テレビドラマ「スパイ大作戦」などにも出演、「スター・トレック3 ミスター・スポックを探せ!」(84年)や「スリーメン&ベビー」(87年)などで映画監督も務めた。
グループサウンズ「ザ・ワイルドワンズ」のリーダーだった加瀬邦彦(かせ・くにひこ)氏が 4月21日、東京都内の自宅で自殺。74歳。( 4/22 読売新聞朝刊より)
東京生まれ。慶応義塾高に在学中、加山雄三さんと親交を深め、ギターを始めた。慶応大時代に「ザ・スパイダース」に加わり、後に「寺内タケシとブルージーンズ」に移った。1966年、4人組の「ワイルドワンズ」でデビュー。作曲を担当したデビュー曲「想い出の渚」が大ヒットとなった。71年にグループを解散後は、人気歌手の沢田研二さんのプロデュースを務め、「危険なふたり」「TOKIO」の作曲も手がけた。81年にワイルドワンズを再結成し、2011年には全国ツアーを行った。
脚本家の高橋二三(たかはし・にいさん)氏が 5月 5日、脳幹出血のため死去。89歳。( 5/15 読売新聞朝刊より)
映画ガメラシリーズの脚本を多数手がけ、テレビアニメ「みつばちマーヤの冒険」なども担当した。
清純派の美人スターとして戦前戦後を通じて活躍し、「永遠の処女」と呼ばれた伝説の女優、原節子(はら・せつこ)さんが 9月 5日、肺炎のため死去。95歳。(11/26 読売新聞朝刊より)
横浜高等女学校を中退し、1935年、義兄・熊谷久虎監督の縁で日活多摩川撮影所に入社。15歳で「ためらふ勿れ若人よ」でデビューした。「緑の地平線」「河内山宗俊」などを経て、37年、日独合作映画「新しき土」のヒロインに抜てきされ、大きな話題を呼んだ。
戦後には、黒沢明監督「わが青春に悔なし」、吉村公三監督「安城家の舞踏会」、今井正監督「青い山脈」など名匠の作品に出演、日本人離れした彫の深い美貌とはつらつとした明るさで人気女優の地位を確立した。
特に小津安二郎監督「晩春」「東京物語」、成瀬巳喜男監督「めし」「山の音」などの名作で、知的で優しい成熟した女性像を演じ、名実ともにトップ女優になった。
その後、「驟雨」「東京暮色」「秋日和」などに出演、100本を超える映画に出演したが、62年、42歳で「忠臣蔵」の大石りくを演じたのを最後に、スクリーンから遠ざかった。終生、独身を通し、自らマスコミに登場することもなかった。
イギリス映画監督のジョン・ギラーミン氏が 9月27日、心臓発作のため死去。89歳。(10/ 3 読売新聞朝刊より)
代表作は、超高層ビルの火災を題材にしたパニック映画「タワーリング・インフェルノ」(1974年)や「キングコング」(76年)、「ナイル殺人事件」(78年)など。
脚本家の山内久(やまのうち・ひさし)氏が 9月29日、老衰のため死去。90歳。(10/ 1 読売新聞朝刊より)
田中啓一名義で書いた映画「幕末太陽傳」を始め、「豚と軍艦」、テレビドラマ「若者たち」、1970年に芸術祭大賞を受賞した「海のあく日」など数多くの脚本を手掛けた。90年に紫授褒章。日本シナリオ作家協会の理事長も務めた。
テレビアニメ「ゲゲゲの鬼太郎」の主題歌など愛嬌のある声で知られる俳優で、劇団テアトル・エコー代表の熊倉一雄(くまくら・かずお)氏が10月12日、直腸がんのため死去。88歳。(10/17 読売新聞朝刊より)
映画やアニメの吹き替えでは草分け的存在。特徴のある鼻にかかった声を生かし、1950年代からテレビの「ヒッチコック劇場」「ひょっこりひょうたん島」などの吹き替えで活躍したほか、ドラマやコント番組「ゲバゲバ90分」にも出演、ユニークな性格俳優ぶりで人気を博した。
井上ひさしさんに劇作を勧め、69年には井上さんの初戯曲「日本人のへそ」を自らの演出によってテアトル・エコーで初演。ニール・サイモン作「サンシャイン・ボーイズ」の演技で98年度の紀伊国屋演劇賞を受賞。2011年に読売演劇大賞・選考委員特別賞を受けた。
「襟裳岬」「旅の宿」などのヒット曲で知られる作詞家の岡本おさみ(おかもと・おさみ)氏が11月30日、心不全のため死去。73歳。(12/18 読売新聞夕刊より)
鳥取県米子市出身。「旅の宿」「落陽」「祭りのあと」「おきざりにした悲しみは」など、吉田拓郎さんの数多くの曲で作詞を担当。作曲の吉田さんとのコンビで手がけた「襟裳岬」は、1974年に森進一さんが歌って大ヒット。日本レコード大賞を受賞した。「襟裳の春は 何もない春です」というフレーズは広く知られている。作詞作品はほかに、岸田智史さんの「きみの朝」など。近年はミュージカルの作詞でも活躍した。
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