トップ > 年間エンターテインメント総括

選評  出版関係物故者  放送関係物故者

対象作品は発表された年ではなく、サイト主宰者が実際に目にした年のものとしています。



部門ノミネート作品ベスト作品
図書部門 小説の部 「神の手」 該当作なし
漫画の部 「機動戦士ガンダム THE ORIGIN」「マジンガーZ オリジナル版」「ぼくとフリオと校庭で」 該当作なし
映像部門 映画の部 「はやぶさ 遥かなる帰還」「アバター」「おっぱいバレー」 該当作なし
テレビドラマの部 「運命の人」「ブラックボード」 該当作なし
アニメーションの部 「ちびまる子ちゃん」「クレヨンしんちゃん」 該当作なし

2012年選評

与志田選2012年総括。いよいよ自室にも地デジ対応テレビとレコーダーを設置。BSアンテナも引っ張ってきて、これで存分にテレビライフを楽しめるはずなのにあまり面白い番組がない。録画するのはもっぱら昔の番組ばかりだったりします。( 13/01/10 )

<図書部門>
『神の手』(久坂部羊・NHK出版刊)
今作は安楽死がテーマ。この作者は過去の作品が強烈過ぎて、どうしてもエグイ展開を期待して読んでしまいます。が、これはこれでなかなかにスリリング。一気に読ませられました。
『ぼくとフリオと校庭で』(諸星大二郎・双葉社刊)
『暗黒神話』や『妖怪ハンター』を読んでいた頃から30余年。再び諸星作品が無性に読みたくなくって購入した短編集。どの話もぞくぞくします。

<映像部門>
『はやぶさ 遥かなる帰還』( 2/11公開)
―2012年"はやぶさ 遥かなる帰還"製作委員会 渡辺謙 瀧本智行監督
渡辺謙をはじめとする登場人物たちの熱い思いに励ましをもらいました。とくに企業からの出向という形でプロジェクトに携わった技術者たちが存在することと、その葛藤が非常に興味深くありました。
『おっぱいバレー』(12/25・NHK BSプレミアム)
キャッチコピーなどから綾瀬はるかの天然キャラを期待していたら意外とまとも。ドラマもいたって正攻法。でもそれがよかった。背景となる1979年の時代感もよく出ていて、ノスタルジックな気分に浸れました。
『運命の人』( 1/15〜 3/18・TBSテレビ系)
わかりづらいといえばわかりづらいはずの政治劇が山崎豊子の手にかかると俄然面白くなります。緊張感の伝わる脚本の出来もよかった。
『ブラックボード』( 4/ 5〜 4/ 7・TBSテレビ系)
学校を舞台に、3つの時代をリレー形式で描いたところが好企画でした。平原綾香によるテーマソングが印象的でいつまでも耳に残ります。


2012年出版関係物故者

作家の真樹日佐夫(まき・ひさお)氏が 1月 2日、急性肺炎のため死去。71歳だった。( 1/ 4 読売新聞朝刊より)
漫画原作者の故梶原一騎さんの実弟。1968年に「凶器」でオール読物新人賞。漫画原作者、空手家、映画プロデューサーなどとしても活躍した。

作家の河野典生(こうの・てんせい)氏が 1月29日、嚥下性肺炎のため死去。77歳だった。( 3/ 7 読売新聞朝刊より)
日本のハードボイルド小説の草分けの一人。1964年、「殺意という名の家畜」で日本推理作家協会賞。

漫画家の影丸穣也(かげまる・じょうや)氏が 4月 5日、膵臓がんのため死去。72歳だった。( 5/ 9 読売新聞朝刊より)
「空手バカ一代」(原作・梶原一騎)の作画をつのだじろう氏の後を受け担当(当時は譲也)。代表作に「白鯨」「ワル」など。

イラストレーターの日暮修一(ひぐらし・しゅういち)氏が 4月13日、肺炎のため死去。75歳だった。( 4/20 読売新聞朝刊より)
1970年から2011年11月まで約40年間、小学館の漫画誌「ビッグコミック」の表紙を飾る著名人の似顔絵を担当。2000年に小学館漫画賞審査委員特別賞を受賞した。コピーライターの日暮真三さんは弟。

作家の中津文彦(なかつ・ふみひこ)氏が 4月24日、肝不全のため死去。70歳だった。( 4/26 読売新聞朝刊より)
平泉の歴史を扱ったミステリー「黄金流砂」で1982年、江戸川乱歩賞を受賞した。

アメリカを代表する作家のレイ・ブラッドベリ氏が 6月 5日死去。91歳だった。( 6/ 7 読売新聞夕刊より)
1920年イリノイ州生まれ。SF、怪奇、幻想小説など幅広い作品を手がけた。詩的で叙情豊かな作風が人気を呼んだ。代表作の長編「火星年代記」は、日本を含む世界30か国以上で出版された。このほか、「華氏451度」、短編集に「黒いカーニバル」「刺青の男」「ウは宇宙船のウ」などがあり、47、48年に2年連続でO・ヘンリー賞を受賞した。

映画評論家の石上三登志(いしがみ・みつとし)氏が11月 6日、骨髄がんのため死去。73歳だった。(11/12 読売新聞夕刊より)
電通で映像クリエーターを務める傍ら、「スター・ウォーズ」などの映画を中心にミステリー、SF、漫画と幅広い分野で評論家として活躍。雑誌編集や翻訳、映画脚本も手がけた。

イラストレーターの依光隆(よりみつ・たかし)氏が12月18日、急性肺炎のため死去。86歳だった。(12/25 読売新聞朝刊より)
長大なSF小説として有名なドイツの「宇宙英雄ペリー・ローダン」シリーズの邦訳版で、1971年の第1巻から2009年の367巻まで38年間、表紙などのイラストを手掛けた。

自らの被爆体験を元にした漫画「はだしのゲン」の作者で、核兵器の悲惨さを訴え続けてきた漫画家の中沢啓治(なかざわ・けいじ)氏が12月19日、肺がんのため死去。73歳だった。(12/25 読売新聞夕刊より)
広島市生まれ。国民学校1年だった6歳の時、爆心地から1.2キロで被爆。父と姉、弟が犠牲となり、被爆後に生まれた妹も亡くした。
手塚治虫にあこがれて漫画家を志望。中学を卒業後、いったん看板屋に就職したが、漫画家を目指して1961年に上京した。
デビュー後の66年、母が死去。遺骨を拾おうとした際、骨が灰のように崩れた様子を見て、「原爆は母の骨までをも奪うのか」と怒り、それを原動力に2年後、原爆をテーマとした初作品「黒い雨にうたれて」を発表した。
代表作「はだしのゲン」は、73年に週刊少年ジャンプで連載がスタート。掲載誌を替えながら87年まで続き、単行本の発行部数は累計約1000万部に。約20か国語に翻訳・出版され、2009年には全巻の英訳版が完成した。
印税の蓄えをつぎ込んでプロダクションを作り、「はだしのゲン」(83年)、「黒い雨にうたれて」(84年)などのアニメ映画も制作した。
白内障や網膜症が悪化したことから、09年9月に引退を表明。ゲンのその後を描こうとして未完に終わった「はだしのゲン第2部」の初回原稿を含む1万441点の資料を、広島平和記念資料館に寄贈した。


2012年放送関係物故者

独自の日本語オペラや劇音楽で知られる作曲家の林光(はやし・ひかる)氏が 1月 5日死去。80歳だった。( 1/ 7 読売新聞夕刊より)
東京生まれ。東京芸大作曲科を中退後、音楽と社会のかかわりに関心を深め、合唱曲「原爆小景」で独自のスタイルを確立した。1975年に日本語オペラの創作・上演に取り組む「オペラシアターこんにゃく座」の座付き作曲家兼音楽監督(現芸術監督)となった。代表作に「森は生きている」「セロ弾きのゴーシュ」「変身」など。
劇音楽や映画音楽も多く手がけ、95年に「座・新劇」の音楽で第2回読売演劇大賞の優秀スタッフ賞を受賞。映画では新藤兼人監督の「午後の遺言状」、大島渚監督の「少年」などの音楽を担当した。96年にビオラ協奏曲「悲歌」で尾高賞を受賞。同年、紫綬褒章。また、社会状況への鋭い問題意識を反映した音楽評論でも知られた。

放送作家の足立明(あだち・あきら)氏が 1月 6日、肺炎のため死去。75歳だった。( 1/11 読売新聞朝刊より)
アニメ「妖怪人間ベム」「遊星仮面」などを手がけた。人形劇団「劇団ピッカリ座」代表。

脚本家の神波史男(こうなみ・ふみお)氏が 3月 4日、多臓器不全のため死去。78歳だった。( 3/ 9 読売新聞朝刊より)
「華の乱」など深作欣二監督作品の脚本を数多く手がけ、1986年の「火宅の人」で日本アカデミー賞最優秀脚本賞を受賞した。

アニメーション監督の石黒昇(いしぐろ・のぼる)氏が 3月20日死去。73歳だった。( 3/22 読売新聞朝刊より)
テレビアニメ「宇宙戦艦ヤマト」を演出したほか、「超時空要塞マクロス」「メガゾーン23」「銀河英雄伝説」などの監督を務めた。

声優の青野武(あおの・たけし)氏が 4月 9日、多発性脳梗塞のため死去。75歳だった。( 4/11 読売新聞朝刊より)
テレビアニメ「ちびまる子ちゃん」のおじいちゃん・友蔵や、「ドラゴンボールZ」の神様の声などを担当した。

脚本家で映画監督の新藤兼人(しんどう・かねと)氏が 5月29日、老衰のため死去。100歳だった。( 5/31 読売新聞朝刊より)
広島県生まれ。1934年に新興キネマに入り、後に松竹に移った。「安城家の舞踏会」(47年、吉村公三郎監督)などの脚本を担当し、50年に吉村監督らと近代映画協会を設立、独立プロの先駆けとなった。
51年に亡き妻との生活を基にした「愛妻物語」で監督デビュー。主演の乙羽信子さんとは、乙羽さんの遺作「午後の遺言状」(95年)まで、公私にわたるパートナーだった。反戦・反核を貫き、52年に「原爆の子」を発表。2011年公開の遺作「一枚のハガキ」も戦争体験を基にしている。海外の評価も高く、60年には「裸の島」でモスクワ国際映画祭グランプリを受賞した。02年に文化勲章受賞。

歌手の尾崎紀世彦(おざき・きよひこ)氏が 5月31日死去。69歳だった。( 6/ 2 読売新聞朝刊より)
コーラスグループのワンダースを経て、ソロに転じ、1971年に「また逢う日まで」を発表。約100万枚を売り上げ、同年の日本レコード大賞に輝いた。
このほかの代表曲に「さよならをもう一度」「愛する人はひとり」「ゴッドファーザー〜愛のテーマ」など。長いもみあげがトレードマークで、高らかに歌い上げる独特の唱法で人気があった。俳優としても映画「釣りバカ日誌16」などに出演した。

歌手の桑名正博(くわな・まさひろ)氏が10月26日、心不全のため死去。59歳だった。(10/27 読売新聞朝刊より)
大阪市生まれ。1972年にバンド「ファニー・カンパニー」のボーカル、ギターとしてデビューした。ソロに転じた後の79年に化粧品のCMソングとなった「セクシャルバイオレットNo.1」がヒット。80年には歌手のアン・ルイスさんと結婚(84年に離婚)。俳優としても活躍した。

脚本家の長野洋(ながの・ひろし)氏が10月26日、肺炎のため死去。78歳だった。(11/ 1 読売新聞夕刊より)
神奈川県出身。映画「二人だけの朝」「黄金のパートナー」、テレビドラマ「太陽にほえろ!」「スクールウォーズ」などを手がけた。

歌手、タレントの石川進(いしかわ・すすむ)氏が10月29日、胃がんのため死去。79歳だった。(11/ 1 読売新聞夕刊より)
「ダニー飯田とパラダイスキング」で坂本九さんとともにボーカルを務め、「ビキニスタイルのお嬢さん」などのヒット曲を生んだ。「キューピーちゃん」の愛称で親しまれ、1962年の脱退後は「オバケのQ太郎」や「ど根性ガエル」などアニメ主題歌も歌った。

直木賞作家で脚本家やテレビ番組の司会者として活躍した藤本義一(ふじもと・ぎいち)氏が10月30日死去。79歳だった。(10/31 読売新聞朝刊より)
堺市生まれ。大阪府立大在学中からラジオなどの脚本コンクールに応募し、1957年、ラジオドラマ「つばくろの歌」で芸術祭文部大臣賞を受賞した。卒業後は宝塚映画で川島雄三監督に師事し、「駅前シリーズ」などの映画やテレビ、ラジオの脚本を多数手掛けた。
日本テレビ系の深夜番組「11PM」火曜日と木曜日の司会者を65年の開始時から90年の終了時まで務め、大橋巨泉らとともに番組の顔として活躍。歯切れのいい語り口で関西を代表するタレント文化人としても人気を得た。
その一方、大阪の芸人や商売人らをテーマにした小説を執筆。74年、破滅型の落語家を描いた「鬼の詩」で直木賞、87年には「蛍の宿」で日本文芸大賞を受賞した。ほかに、スリの一家に取材した「ちりめんじゃこ」、織田作之助の生涯を描いた「わが織田作」など。
「人生の自由時間」などエッセー作品も数多く、阪神大震災で被災した子どもたちのためのケアハウス「浜風の家」(兵庫県芦屋市)を設立、運営にも尽力した。

演出家、テレビプロデューサーの小林俊一(こばやし・しゅんいち)氏が11月15日、心不全のため死去。79歳だった。(11/20 読売新聞朝刊より)
1968年に始まった渥美清さん主演の連続ドラマ「男はつらいよ」を演出し、映画版の「新・男はつらいよ」の監督も務めた。ほかに田宮二郎さん主演のドラマ「白い巨塔」、フジテレビ版「浅見光彦シリーズ」の演出や製作、映画「沈まぬ太陽」の企画などを担当した。

映画監督の斎藤光正(さいとう・こうせい)氏が11月25日、肺炎のため死去。80歳だった。(11/27 読売新聞朝刊より)
映画「悪魔が来りて笛を吹く」「戦国自衛隊」などの話題作のほか、テレビドラマを多数手がけた。

軽妙洒脱な語りで親しまれた俳優の小沢昭一(おざわ・しょういち)氏が12月10日、前立腺がんのため死去。83歳だった。(12/10 読売新聞夕刊より)
東京生まれ。早稲田大学在学中に俳優座養成所に入った。日活と契約し、「にあんちゃん」など今村昌平監督作品に多数出演し、庶民的なにおいを放つ演技派としての地位を確立した。また井上ひさし作の一人芝居「唐来参和」は、83年の初演から2000年までの18年間で公演660回を数えた。
緩急自在、様々な声音を使い、ユーモアを交えた絶妙な話芸を誇り、73年から続くTBSラジオ「小沢昭一の小沢昭一的こころ」など、ラジオのレギュラー番組は長寿を誇る。
40歳の時、「私は河原乞食・考」を出版して以来、大道芸などの大衆芸能を採集。その記録をまとめたレコード「日本の放浪芸」シリーズを出した。新潮学芸賞に輝いた「ものがたり 芸能と社会」など、著作も40冊を超えた。94年には紫綬褒章、2001年には勲4等旭日小授章を受賞した。

イギリスSF人形劇サンダーバードの制作者のジェリー・アンダーソン氏が12月26日死去。83歳だった。(12/27 読売新聞夕刊より)
1965年にイギリスでテレビ放映が始まったSF人形劇「サンダーバード」を制作総指揮。大富豪ジェフ・トレイシーと5人の息子らで作る「国際救助隊」が、孤島に秘密基地を構え、新鋭機器を駆使して、危機に陥った人々を救う活躍を描いた。番組は日本でも放映されて人気を博した。