No.01 その表現力からくる『芋虫』の怖さ
この怪奇小説といっていい作品は何度も読んでいる。よって、ストーリーも結末も知っている。しかるに何度読んでもやっぱり怖い。ストーリーや結末がわかっていながら、これほどまでに読むものを怖がらせる怪奇小説がほかにあるだろうか。
それはひとつに乱歩の文章のうまさからくるものであろう。乱歩の文章はわかりやすく、その技巧ゆえに幼稚な印象を与えがちだが、乱歩という巨人は決してそうした安易な評価で括られるものではない。むしろ文章のわかりやすさは映像表現に通ずるものとして、稀有なる才能と評価されるべきなのである。乱歩の作品からは、どれもありありと映像が浮かぶ。それゆえ頭に入りやすく、文章として読むことがまったく苦にならないのである。おそらく大正から昭和初期にかけて同時代を生きた小説家の誰よりも乱歩の文章は理解しやすく、読みやすいのではないかと思う。そして、その読みやすさから、ついつい何度でも読めてしまう。短編の本作などはなおさらである。
また本作の怖さは、そうした文章のうまさとあいまって、人間の業のようなものが巧みに表現されているところからくるものだ。だからストーリーがわかっていても、怖いのである。古さもまったく感じさせない。( 00/11/16 )
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